たとえば、その日は好きなミュージシャンのライブがあるから、と幾つかの仕事を残して早退した同僚がいて、その同僚に代わって僕が部長宛てに送ったメールの文面が「どうじょ宜しくお願い致します。」と甘噛みのようになっていた場合。
全社メールをccに入れて部長からそのミスを指摘された僕が社内の笑い者になった、という一連の話で他の同僚たちと盛り上がっていた昼下がり、ライブに行っていた例の同僚が「あれ超ウケたんだけど!」と笑いながらやってきたとする。
… お前は笑うな。
こんな具合に、誰に笑われてもいいけど(むしろ笑ってもらったほうが救われるけど)、お前だけには笑われたくねぇからな!というシチュエーションがあります。
その瞬間の、ほんの些細な反抗心を切り取って「お前は笑うな。」と決めました。
ブログ立ち上げた時、僕はそんな気持ちだった。
「書く」という行為において日常の鬱憤を発散したい。
ただ会社の一角で「残業が多い」「給料が安い」、ランチに出かければ「このまま帰っていいかな」と煙草片手に冗談を言うのであれば、せめてそれをアウトプットしたほうが、絶対いいハズだと感じました。
たとえ非生産的な鬱憤であったとして、こんな自分の小ささを笑ってくれる人がいるなら、それは鬱憤から1つの「価値」になるかもしれない。
そうおもってブログを立ち上げました。
笑われることで自己が保てる場合が多い
「人に笑われること」に対する受け取り方は、その文脈によって様々かと思います。
でも、僕にとっては確実に、誰かに笑ってもらえる(笑われる)というのは、自己保全になっております。
何もないところでつまづいたとき、隣でそれを見逃してはくれなかった目ざとい奴が僕を笑ってくれたほうが、余程楽になりますよね。(少なくとも僕は。)
だから、こんな人間だから、思う存分笑ってくださいと。笑
お前だけは笑うな。
ただ自分の境遇を嘆き、すべてを他者のせいにして、世界が自分のために動いてくれるまでグラブルでもしておくか。
という人もいます。
それ自体は全然良いと思ってます。
だってその人がその人らしいスタンスでいることは、その人にとって幸せっすもんね。
だけどその中でごくわずか、自分が現状の上に鎮座していることを正当化するかのように、必死こいて表現している人のことを笑うヤツもいます。
僕はそういう人に言いたい。
お前は笑うな。
僕、プライドが強いかもしれません…。
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